2023年09月18日

”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信113

”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信113
古賀さんの著書には、”ピトケアン島のアマチュア無線の歴史は古く、島民の親戚が多く住むニュージーランドやノーフォーク島との個人的な通信はもっぱらアマチュア無線を利用する”と記述されています。
以前、この島を訪れたアメリカ人が撮ったビデオには、老婦人同士がいとも楽々と「トン・ツー」と電鍵を叩きながらモールス信号でおしゃべりしている様子が映っていて、古賀さん自身もたまげたそうです。
『モールス信号を送受信することはそう簡単ではない。日本のハムの国家試験でもこの科目があるばかりに、そうそうたる電子専門家でもこれだけはお手上げという人もいる。しかし、ここでは、アマ無線といっても公衆電話代わりで生活の一部に組み込まれている…。』と、著書には記されていました。
わたしは、モールス信号の送信は難しくないと思っています。ただ、受信はかなり難しいと実感しています。外国語も同じだと思いますが、言っていることが分からなければ問題になりませんね。何を喋ってよいのかも分かりません。モールスの送信は自分でコントロールできますが、受信は確かに難しい。しかし、そこが面白いのです。受信できた時の喜び。何とも言えない気持ちに包まれますよ。
さて、古賀さんはピトケアン島に渡航する40年ほど前の若き頃、マーロン・ブランド主演の映画で”戦艦バウンティー号の反乱事件”を知ったそうです。反乱士官たちが島に上陸した後、自分たちの船を焼く場面で終わった後を受け、『あの場面の続きがあるとすればその後彼らはどうなったのだろうか?』『その子どもたちは島にいるのだろうか?』『もしいるとすればどんな生活を送っているのだろうか?』などの疑問が次々に湧いてきたそうです。
そして、”いつの日にかこの島に行って、自分の目でそれを確かめて来よう”と決心しました。
著書のはしがきによると、古賀さんは日本と南氷洋を往復する度に、ニュージーランドの東、暴風圏の中に浮かぶ荒涼とした島であるピトケアン島の近辺を通り、吠える40度の荒波に翻弄される小さなバウンティー号の姿がオーバーラップし、昔の船乗りの勇敢さに感心したのだそうです。
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古賀さんの、”バウンティー号の航跡をたどってみたい”という気持ちは長い年月を経ても変わりませんでした。
…その夢が1996年9月に遂に実現したのです。
私自身は古賀さんが運用したVR6CTとは交信機会がなく、当然QSLカードも所持してはいません。そこで、著書の中に掲載されていたQSLカードを紹介します。
白黒ですが…。渡航したヨットから見たピトケアン島だそうですよ。
ピトケアン島&古賀さんの話題からはそれますが、ラグビーワールドカップ対イングランド戦。イングランドのへッディング(?)トライ(?)。アレが分岐点だったと思います。
日本チームは残念ながら敗れましたが、次戦につながる気迫が感じられました。
現在の私にとってとても大切な10月15日の本試験。今回も日本のユニホーム(もどき)を着て臨むつもりです。



Posted by ヒロ1955 at 07:04│Comments(0)
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