2023年09月30日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信125

FT5ZGはアムステルダム島から電波を出したDX局です。
日本からは約10274Km遠方に位置します。
私との交信は1997年4月と5月、14Mhzと21MhzのいずれもCWによるものでした。
ところで、昨晩は中秋の名月。東の空に満月が輝き、今朝の6時前には西の空から照らしていました。
そうそう、昨日はお巨大なサツマイモを収穫。家族全員、「こんなに大きいサツマイモは初めて見た」と驚いていましたよ。
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08:05
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2023年09月29日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信124

FT5WEはクローゼ島から電波を出したアマチュア無線局です。
日本からは約12598Km遠方にある、アフリカ圏に属するエンティティとしてカウントされます。オペレータはフランス人のFS1JT:Samuel。
私との交信は3バンド4交信。1996年5月、6月、10月にかけてでした。
ところで、今朝の対サモア戦。熱戦でした。
日本チームは28対22で勝利。アルゼンチンに勝利すればベスト8に進めます。
ファイト一発、日本!
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06:28
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2023年09月28日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信123

第3回目の3Y0Xの運用には、第2回目のメンバーの一人だったK0IR:ラルフがチームリーダーとして再び参加しました。
運用期間は2006年2月8日~20日にかけてでした。
全交信数は86887。私は7Mhzと10Mhzの2交信。いずれもCWによるものでした。
1994年以来12年目のピーターⅠ世島からの電波でしたので、運用期間中パイルアップは途切れることはありませんでした。
僅か(?)2交信で終わったとはいえ、スリリングなパイルにリアルタイムで参加できて幸せでした。
ところで、今回の3Y0XのDXぺデイションにかかった費用は約50万ドル(約5900万円:当時1$118円)だったそうです。
1交信あたりの経費(?)は約5ドル75セント。
金銭的にも、やはり、世紀の大DXぺデイションとなりました。
さて、昨日は藤井七冠が八冠をかけての大一番。ほとんど敗戦の秒読みだったのが、1分将棋になってから永瀬王座が緩手を2つ。大逆転で藤井七冠が2勝目を手にしました。
時間が無くても正確に読み、粘り強く対応した藤井七冠。運と共に、将棋の神様に選ばれた人物だとも思いました。
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06:44
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2023年09月27日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信122

史上2回目となるピーターⅠ世島からのDXぺデイションは1994年2月1日~16日にかけて行われました。
3Y0PIです。 第1回目の1987年の運用から7年後のことでした。
4か国9名による国際チームで運用され、約60000交信を記録したといわれています。
私は14MhzCWでの1交信のみ。
世界中からのパイルアップの中、1994年2月5日19:40に私のコールサインが返ってきたときは思わずガッツポーズしたものでした。
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06:32
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2023年09月26日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信121

電波送受信の要はアンテナです。そして、許可された最大空中線電力等を効率よく活用するためのスキルアップです。
1996年(平成8年)4月に、第1級国家試験から和文の電気通信術試験が廃止されるとともに、各級の最大空中線電力が引き上げられることとなりました。
例えば、第1級は1Kwまで許可されることとなったのです。このこと自体は喜ばしいことですが、当然のことながら電波障害を引き起こす恐れが大きくなったともいえます。
数多の周波数帯で完璧に電波障害をなくすことは、実際は不可能に近いことです。空中線電力が大きければ大きいほど困難度も増大します。しかし、効率の良いアンテナを設置することで電波障害をより軽減し、電波の送受信の感度を高めることができると思っています。
汚い電波をまき散らし、近所迷惑な電波障害を発生させていては、たとえ第1級の資格を許可されたとしても1Kwへの変更検査合格は困難となるように思います。
さて、1997年(平成9年)2月27日、私方シャックを訪れた郵政技官から1Kwへの変更検査合格の確認の印をいただくことができました。
この日までに独自で様々
検査を含めての準備をしました。中でも、私宅から半径50メートル以内の方たちに協力していただいた電波障害調べ。調査期間経過後、一軒一軒訪問して状況をお聞きした後、快く捺印をいただいたことには今でも感謝の気持ちで一杯です。
遠く海外に住む人たちとの電波を通した交流も、実は身近な近所の人たちとの交流を土台として成り立っているのですね。
…変更検査合格の日付は1月22日であり、合格番号は”四無陸第96-00036327-001号”と記されていました。
四国で第1番目に1Kwへの変更が許可されたことになりました。
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06:58
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2023年09月25日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信120

携帯電話のない時代。義兄の車載無線機から楽しそうな無線友だちの声が聴こえました。
「こんなことができるのか。楽しそうだな」と思い義兄に聞くと、「アマチュア無線だよ。国家試験に合格したら声が出せるよ。やってみるかい。」とのこと。
ここから私のアマチュア無線という素晴らしい趣味がスタートしたのです。
『完全丸暗記』と題された小冊子の丸暗記。1988年(昭和63年)12月1日付で電話級の免許証が発給。免許状もいただき”JE5WJM”という世界にたった一つ、私だけのコールサインを手にすることができました。
しばらくは車載無線機で電話ごっこを楽しんでいましたが、上級免許を取得することでもっと世界が広がるということを知りました。
「これだ! 面白そう!」
電信級が3級に変わっての最初の国家試験。岡山会場で臨み、不合格…。2級相当の毎分45字のスピードで受信練習をしていたので、毎分25字は”遅く遅く”感じました。
「実力不足違うんの? 速いんは受信できて、遅いんは受信できんというのは、言い訳違うんな!!」
妻の温かい(?)叱責を胸にしまい、次回の徳島会場に臨み合格。1990年(平成2年)8月10日付で第3級免許証を手にすることができました。
ところで、実は2回目の第3級試験に臨む前に、第2級への最初の挑戦をしていました。1分間45字以上を受信できる自信があったからです。結果は不合格。しかし、納得。
簡単に合格できるレベルではありません。簡単なら、2級に合格するための努力をする面白さがないからです。
秋に二回目の挑戦。不合格! 悔しさを覚えました。『努力が足りない!』
受信スピードを毎分120字までアップ。併せて和文モールスの受信練習も始めました。欧文と和文とでは同じ符号が使われることもあり区別することが多少難しいのですが、受信スピードに差をつけることで区別できるようにしました。
和文練習は最高で毎分80字以上には上げないようにしました。両方を練習することで相乗効果も図れたと思います。
1991年(平成3年)春、3回目の第2級への挑戦です。受信術・無線工学ともに問題なし。合格でしょう。
5月29日付で第2級免許証を手にすることができました。
更に、今回は第1級の無線通信術の受験もしました。和文と欧文との区別が実際の試験会場で可能となるかどうかを確認するためです。
松山市宮田町が試験会場。まず、毎分50字の和文モールスの受信試験。
受信内容を試験用紙に記しながら、目にはうっすらと涙。受信できます! 全て受信できます!
和文受信試験終了後の1分後には欧文受信試験。頭の中のモールス設定を素早く切り替えなければいけません。1分の間に、「チンチン」と洗車も通り過ぎました。気を引き締めます。
毎分60字の欧文受信試験が始まりました。全部受信できます!
送信スピードが違っているので、和文と完全に区別して受信出来ました。
『やったー!』軽く拳を握り、喜びと満足感とで心が満たされました。『努力は報われる…こともある』と思いました。
秋には第1級の無線工学だけ受験。特に問題なく1991年(平成3年)11月27日付で第1級免許が発給されました。
ところで、現在は第1級~第3級までモールス信号の受信試験は実施されていません。確かに、毎分60字程度のスピードでは実際の交信で使いものにはなりませんが…。
ただ、モールス通信は小電力でも十分にオーバーシーできますし、効率面でも、電波障害を軽減する上でも、素晴らしい通信手段ですから、必要に応じて自己研鑽・スキルアップしていけばよいのかも知れませんね。
何より、モールス通信は面白いし楽しいですから。
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07:00
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2023年09月24日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信119

国土開発や維持の土台となる測量。測量結果を使った個人や法人の不動産等の確定。
そして、確定された不動産を固定するための登記。
…これまでの体験や経験を活かしつつ、世の中に少しでも貢献したく考えています。
『モールスで遊ぼ』にプラスして、
『里山で遊ぼ』も始めようと計画しています。
”やる気と勇気と粘り気”と、周りを巻き込んでいく包容力の大切さ。日本の新しい未来が開けることを確信しています。
さて、今朝の南アフリカ対アイルランド戦。NHKテレビでライブ視聴しました。手に汗握る熱戦・接戦でした。
日本チームは前々回大会で南アフリカに、前回2019年の日本大会でアイルランドに勝利しています。どちらも世界を驚かせる結果となりました。
日本チームの次戦、全力応援します!
今日は両親の69回目の結婚記念日。快晴のもと、お彼岸のお墓まいりにも揃って行ってきました。
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06:59
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2023年09月23日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信118

『アマチュア無線の歴史をつくった人たち』を通して、過去を振り返ることから多くのことが学べました。
そして、古賀さんにも、溝口さんにも、マーティにも、共通するものがあることにも気づけました。
プロジェクトの大小は確かにありますし、目的も多少違ってはいました。しかし、賛同者や協力者をつくり、組織や国家までをも巻き込んでプロジェクトを立ち上げ、硬軟織り交ぜて突き進んでいく姿勢は称賛に価すると思います。
彼らのリーダーシップは確かに強いものがありますし、周りを巻き込む包容力・情熱・決して諦めない意志の強さ…には、ただただ感嘆するばかりです。
さて、『大日本沿岸輿地全図(伊能図)』をプロジェクトリーダーとして完成させた伊能忠敬さん。
彼もまた、『日本の歴史をつくった人たち』の一人であると思っています。
伊能忠敬さんの生き方に憧れ刺激を受けた私は、独学で測量を学び国家試験に挑戦。62歳で測量士となりました。3度目の挑戦でした。
…忠敬さんからは測量の大切さと偉大さと粘り強さとを学び、アマチュア無線技士としては世界情勢の一端にも触れるような経験・体験をすることができました。
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06:46
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2023年09月22日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信117

スウェインズ島におけるニューエンティティ誕生の経緯を振り返ってみると、結果的にはUSAから800Km以上離れているアメリカ領サモアがペアレントエンティティとなり、そこから350Km以上離れているスウェインズ島がニューエンティティとなった訳です。
…TX0DXやVP6DIと結果は同じになりましたが、適用される条文が変更され、それを受けての”同じ結果”ということです。
TX0DXやVP6DIがニューエンティティとして誕生することとなった”DXCC2000ルール”。これが突然変更された背景には何があったのでしょうか…。
TX0DXのペアレントエンティティはニューカレドニア。ニューカレドニアはフランスの海外県。ところが、スウェインズ島のペアレントエンティティはアメリカ領サモア…。この辺りに突然のルール変更をした大きな理由があるのかも知れません。
KH8SIの運用後、翌2007年4月4日~17日の期間にN8Sが運用されました。私はCWのみで5バンド5交信。やっと(?)ニューワンをゲットすることができました。N8Sの総交信数は11720交信だったそうです。
ところで、秋の交通安全週間に関連して、KSBや四国新聞で自転車のヘルメット着用率等の報道がありました。
警察庁が7月に調査した結果は、香川県は7.1%、お隣の岡山県は7.4%だったそうです。妻の出身県の愛媛県は59.9%。もちろん、努力義務ではありますが、県民性が多少うかがえるような気がします。
ちなみに、私は黄色のヘルメット(工事現場用)を着用して走り回っています。自転車で走行するのが大好きです。
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2023年09月21日
”モールスで遊ぼ”モールス(CW)通信116

2006年7月22日00:00UTCから、アメリカ領サモアのスウェインズ島をニューエンティティとするという発表がARRLよりなされました。
ここに第337番目のニューエンティティが誕生することとなったのです。
これを受けてJA1BK:溝口さんをチームリーダーリーダーとする6名の国際チームが、2006年7月29日~8月3日までスェインズ島から運用しました。DXCCに有効となる史上初の運用でした。コールサインはKH8SI。
パイルアップが厳しすぎて、呼べども呼べどもリターンは無し。私は、ただワッチするのみ…でした。
ところで、このスウェインズ島のニューエンティティとしての誕生はすんなりとはいきませんでした。
ペアレントエンティティとなるはずだったKH8 :アメリカンサモアから350Km以上離れているスウェインズ島は、TX0DXやVP6DIがニューエンティティとなった経緯からしても、すんなり認められるはずだと思われました。
ところが、2004年暮れにARRLはDXCC2000のルールを一部変更。ニューエンティティとしてのスウェインズ島は誕生できないこととなったのでした。
しかし、ニューエンティティとしては認められなくとも世界中のDXを愛するアマチュア無線家たちへの問題提起と考え、2005年3月、KH8SIは運用されました。
JA1BK:溝口さんをチームリーダーとする9名の国際チームによる、2005年3月2日~6日にかけてのデモンストレーション運用でした。
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06:56
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